ママちゃんはまじめちゃん

長女(4)長男(0)を育てる主婦です。子供が苦手な私が長女を出産し母になり子育てに悩み専業主婦に苦しみ・・・やっと落ち着いたと思った頃に長男を出産!またもや炸裂する育児の悩み。。本当のワンオペ育児とは。たまーに大好きな美容についても書いていきたいと思っています!

ノイローゼは突然に②

前回からの続き、、、

帰宅後の話です。

 

 

息子もとりあえず寝かし、私の首を触りながらでないと寝れない長女も

寝かしつけます。パジャマに着替えずに気を失うように寝ていた私を

30分後に息子は泣いて起こしてくれます。

外はもう明るくなってきていて、また抱っこひもに入れていると

自然に涙が出てきました。息子が一番苦しいのに

私は自分の事ばかり考えてしまって

ダメな母親だという思いも重なっていました。

時計は6時前でした。これなら母が起きている時間でした。

私はとにかく眠りたかったのです。少しでもいいから。

当時母は、午前中に少しだけ働いていたので

そのあと息子を見ていてもらって休もうと思いました。

初めてのSOSです。

電話して経緯を話しました。

「いつものかかりつけの病院に連れて行ったほうがいい」

そう言われましたが、その病院は人気でネット予約開始から

3分後には予約が終了になるし予約して行っても

かなり待ち時間があるし車で25分くらいかかるところにありました。

ここの先生は明るくてフレンドリーで評判の病院。

信頼できるのですが、なにぶん悪条件が重なっていて

予防接種以外では気軽に行けないのが現状でした。

今回も最初にこの病院に行かなかったのは、こういった理由がありました。

 

「今この状態で車運転して行く元気がない」

 

大人になってから母の前で泣いたり弱音を吐いたりするのも

できないでいるのですが、この時ばかりは電話越しだからいいことに

こう伝えて、ばれないように涙も流しました。

少し考えて母は「私が仕事終わったら送り迎えしてあげるから行きなさい」

と言ってくれました。

母も仕事しているうえに家の事情もあって

体調もあまりよくなく、いつも何か考え事が絶えないような人です。

悪く言うと、私よりも格段上をいく神経質で、いいように言うと

「まじめ」なひとです。彼女もまた力の抜き方がわからない、

誰かに頼れない人なのです。

 

この親にしてこの子ありです(笑)

 

そんな母に頼るのは正直迷います。これ以上負担や悩みをかけたくないのです。

もう成人になったからいつも私の方が支えなくちゃ!

と思っているのですが、いつもうまくいかない・・・

この日ばかりは甘えてしまいました。

 

一言いえばいいのに「ありがとう」って。

頭ではいつも思うのに、それがなかなかできないのです。。。

 

そしてそれからも何度も息子の寝かしつけをしながら

娘を何とか保育園に連れていき、

小児科の予約を勝ち取り、

なんとか母が来てくれるまで必死に耐え、

昼に受診。

 

そして RSウイルス陽性 

が濃く出ました。

どんな病気かというコピーの紙をくれて

説明を聞き、

2分という良心的な吸入器をあてて(笑)

咳止め等の薬をもらいました。

体重が生後三か月にしては

しっかりした方だったので、

(7キロは超えてました)

入院をせず、また明日受診することになりました。

 

自分でも調べてみたのですが

 

・秋~冬にかけて流行する風邪の一種

・鼻水、唾液、手を介して感染

・2歳までにほぼ全員が感染する

・RSウイルスを治す抗ウイルス薬はない

・7~14日ほど咳が出る可能性があること

・乳児や高齢者などには危険な病気であること

・入院率NO1の病気であること

 

などを知りました。

何回も繰り返しなる病気で

免疫力が特に弱い人以外は

咳程度だったりするので

感染していることが分かりにくいそうで、

風邪かな?くらいで

終わってしまうこともあるみたいでした。

確かに娘が咳してました。

私もうつって咳してました。

現在進行形で。

1週間ほどをピークとして

回復に向かうそうですが、

生後1か月までの子供がかかると

突然死を引き起こすこともあるという

危険な病気。

 

2人目にして子供が病気にかかるという怖さを知りました。

何が悪かったのか、どうすればよかったのか

考えましたした。

もっと早く小児科を受診していれば

分かったことなのかな・・・

何より、こんな大変なことになっている

息子に対してイライラしたことや

嫌になった気持ちがあったことを

反省しました。

 

「何でかわからない」

から「RSウイルスだから」

という原因がわかり、ひとまず安心して

回復にむけて多少の事でも

「そうだね」「辛いね」

と流せるようになりました。

 

 

 

ここからが地獄の始まりともしらずに。

1人奮闘していました。